2008.08.13

園長・副園長コラム

おかえり

8月13日(水)

夏休みもはや半分すぎ、休み中の毎年恒例「夏祭り」や「同窓会」も終わりました。今年の同窓会には例年以上に小学生が集まってくれ、慌ててジュースなど追加するというような私達にとっては嬉しい悲鳴でした。
やんちゃぶりもパワーアップした卒園児を見ると懐かしさとその成長に驚き感慨深いものがあります。
取り立てて何をするでもなく、ただ近況を報告しあい、ホールであの頃のように身体を使ってゲームをする・・・そんな会なのですが、先生の顔を見に・懐かしいお友達に会いにやってきてくれる子ども達。子ども達は成長しますが、私達は毎年おかしいくらい変わりなくあの頃と同じように迎え、時の経ったことを確認するのです。

また、夏休みには数々の研修があり、預かり保育の当番以外の先生もそれぞれの研修に出かけています。その中の1つ、今年の「まことの保育大学講座」は、この週末富山での開催となり、当園の教諭は全員出席しました。この研修は、幼稚園・保育園を問わず、浄土真宗本願寺派の保育に携わる園が集まり、ブロック毎に全国で行っているものです。
中部・北陸ブロックは毎年夏のこの時期に各教区持ち回りで開催となります。
記念講演は、富田富士也先生のお話。軽快な語り口で、心にしみる言葉が散りばめられた1時間半でした。その中に『還るいえがありますか』という問いかけがありました。当たり前のように「はい」と答えたものの、
最近続けて報じられている事件について思うと親子関係の難しさについてふと考えさせられました。
「バスジャックして親を困らせよう」と考えた少年や父親を刺してしまった女の子に本当の意味で還るいえがあったのだろうか?これがそうだと感じていたのだろうか?そして、私自身は親として保育に携わる者として、還るいえを用意してあげているのだろうか?と。
「帰る」ではなく「還る」とされたのは、物質的な家ではなく心の還るいえだからです。

今、そんなことを思いかえしながらお盆をむかえています。
だんだんと故郷でお盆をむかえる人が減っているといわれる中にも故郷に向かう道路は渋滞し、暑さにも関わらずお墓にお参りに来られます。
お御堂に向かい、帽子をとってお念珠を手にかけ、一呼吸おいて合掌しておられるお年寄りも若者も、その姿をみると「ここに還ってこられたのだな」としみじみ思います。
懐かしい故郷のここに来て手を合わせることで、また、亡くなった親を想い瞳を閉じてみることで、私達はなにかしら心の中が安らかになるのです。
なにも変わらない風景は「おかえり」と温かく迎えてくれているようであり、過去の体験を繰り返すとその頃の気持ちに戻れるようです。
辛いことや悲しいことがあると「一人ぼっち」のような心細い想いでいっぱいになりますが、「おかえり」と迎えてくれる誰かの存在は、ただそれだけで心に力を与えてくれるのかもしれません。
私も自分自身の還るいえを見失わないように、また、子どもや自分に関わる人に安心できるいえを用意してあげられるような親であり保育者でありたいと思うことです。

(副園長 土岐 環)