2011.03.28

園長・副園長コラム

いのちの役割

2011年 3月28日(月)

先日、四月から入園してくる子どもたちの歓迎会がありました。うろうろと駆け回る子ども、お母さんにまとわりつく子どもや泣きべそをかいている子どもを見るにつけ、卒園児の年長さんも三年前までは同じだったなと思い起こしてしまいます。
同時に、年長さんの劇や合奏や合唱している姿に、それぞれの役割を演じながら、こんなにも大きく、しっかりとたくましく成長してくれたことに頼もしくも感じます。
四月からは小学校へ入学して、みんなそれぞれが一つのいのちとして、新天地を迎えながら、その人なりの人生を歩んでいくこととなります。

そして、多くのいのちと出会い、別れ、助け合いながら一生懸命に生きていきます。
お釈迦様の言葉に「青い花は青く輝いてよいのです。黄色の花は黄色く輝いてよいのです。
赤い花は赤く輝いてよいのです。白い花は白く輝いてよいのです。」と説かれてあります。
お釈迦様は、私たちに、人のいのちは皆それぞれであり、それぞれの生き方には、それぞれの輝きがあるものと教えて下さっているのではないかと思います。
ですから、世の中に何の役割のないいのちは存在せず、お互いが関わり合い、助け合い、それぞれのいのちが輝きを放っています。たった一つのいのちだけでは真に輝くことはできないということです。

自分の行動や言動が、人の救いとなり、人の役に立つものであれば、自然と他人からも輝いて見えるものです。仏教目標である「奉仕」(ほうし)は、「自ら進んで行動し、誰かのためにお役に立つ喜びを味わうこと」ということです。

しかしながら、「してあげているとか」「やってあげた」という気持ちで行動していては、決して喜びは沸いてこないと思います。「させていただいた」「させてもらっている」という気持ちになってはじめて、感謝の気持ちを喜べるのではないでしょうか。

卒園児のみなさんには、限りない可能性があり、それぞれの自分にしか出来ない役割が待っているかと思います。毎朝手を合わせてきた阿弥陀如来さまは、いつでも、どんな時でも、それぞれのいのちを明るく照らし、温かく包んで下さいます。
つらいことがあったり、苦しいことがあったり、困難なことがあっても、手を合わせて「ナモアミダブツ」と声に出し、阿弥陀如来さまのことを思い出して下さい。
きっと、自分のいのちは、ひとりぼっちではなく、多くの人々やものに支えられて、おかげさまで生かされてる大事ないのちであることを教えて下さいます。
どうか、自分のいのちの役割を確認しながら、感謝の気持ちを忘れずに、輝きのある人生を送って下さい。

(園長 土岐 幸次)