2008.03.09

園長・副園長コラム

蕾 (つぼみ)

3月9日(日)

年長さんの卒園の時期となり、子ども達が入園したばかりのことが想い出されます。お母さんと離れるのが不安で泣いていたお友達。それはお母さんも同じで、窓の外からお部屋の中の様子をそっと見ていたお母さんの姿も瞼に浮かびます。
「大丈夫よ。頑張れ」お母さんの心の声が聞こえてきそうです。
バスに乗ったとたん泣き出すお友達。見えなくなるまで見送るバスに「泣かないで。頑張れ」と念じていたお母さん。誰よりも子ども達の理解者ー「これは出来るけれど、あれは苦手」や「この子は、こんな風に考える子なんです」など子どもの事は心の中までわかっているというお母さんは、初めてわが子を集団に送り出す不安から、代弁してあげたい気持ちでいっぱいのことだったでしょう。

これから先どんなに心配でもこれまでのようにずっと傍にいてあげることは不可能です。転ぶまいと先回りして手を貸すことは容易いことですが、私達保育者は子どもの力を信じて、手を出すこと口を挟むことをぐっと我慢して、ただその成長を見守ってあげなければなりません。
自らの力で次のステップへあがろうとしている子ども達をただ応援するしかないのです。子どもの人生を、苦労を変わりにしてあげることはできません。
けれども、弱音をはいた時には聞いてあげ、涙が出たときには抱きしめて、「出来た!」と誇らしげな時には一緒に喜んでくれるお母さんの存在がどんなに子ども達に力を与える事でしょう。

散り際に もう一度開く花びらは あなたのように
聴こえない頑張れを 握った両手に何度もくれた  (コブクロ 『蕾』 より)

コブクロの『蕾』という曲を聴かれた方も多いと思います。亡くなったお母さんを想いかかれた詩。この歌詞の情景と私が母を看取った病室の光景が重なり、思わず涙がこぼれました。
ともすれば、まるで一人で大人になったように感じていた私。でも、あの時も、あの時も・・・常に私達姉妹を見守ってくれていた母。子どもの力を信じて、「あなたなら出来るはず。頑張れ」と心の中で応援してくれていました。今まさに命の尽きるその時まで、私達を案じていてくれたのです。そして、母の「聴こえない頑張れ」は、亡くなった今もなお私の心に届いています。

本当の意味で、親のない子はありません。皆、親から願いをかけられて生まれてくるのです。そして、みんなの願いが花開くように応援し続けて下さっているのだと思います。
きっと、仏さまも同じー「聴こえない頑張れ」をみんなに届けて下さっています。卒園する皆さんは、お父さんやお母さん、そして仏さまの「頑張れ」が、心で聴ける人になってもらいたいと願っています。

(副園長  土岐 環)